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2013年6月22日 (土)

下人の行方は誰も知らない

毎年この時期の恒例になった磐田文学講座、今年もおはがきをいただいて

6月1日(土)・15日(土)の2日間受講してきました。

以前の先生(故人)のお話は独特の風情があって素敵でしたが、

一昨年からいらしてくださっている先生もとてもパワフルで楽しく、

休憩時間も惜しいくらいにいっぱいお話をしてくださいます。

今年のテーマは芥川龍之介の『羅生門』でした。                        

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高校の教科書にも定番で載っている、誰もがよく知っているお話ですが、

これを学校で教わるのとはまた違う切り口で読み解いてくださいました。

ストーリーは、今昔物語を題材に書かれたもので、

解雇されて仕事も行き場もなくなった下人が

これから自分はどうやって生きていくべきか考えている時、

死体から髪の毛を抜いて売って生きる老婆と出会い・・・という物語。

人間の生き方、善と悪の間での迷い、人間は善だけでは生きられないものだ、

誰の中にも自分の中にも悪があるのだ、というようなことを考えさせられます。

これは主人公である下人の心情に目をむけた読み方ですが、

今回の講座では、最後に下人に着物を奪われてしまう

この得体の知れない老婆の方にスポットを当てて考えてみました。

先生のお話の中でとても興味深かったことは、

下人が捕まえ見下したこの老婆は、

実は昔はとても裕福で理知的な女性だったのではないか、という点です。

「なるほどな、云々」とまず人の意見を一旦受け入れて、そのうえで

「じゃが、云々」と自分の反対意見を述べるという論理的な会話の持って行き方。

老婆の会話の中に出てくる「現在」、「菜料」、「餓死」などの漢語表現。

この時代にこういう言葉を使うのは位の高い男性のみで、

女性でこんな言葉を使うというのは相当教養のある人だったことを表すということ。

下人自身、最初は「飢え死に」と言っていたのが、彼女と話すうちに

最後には彼女の使う「餓死」という言葉を真似して使っていることで

下人の方がこの老婆にすっかり打ち負かされているということ。

老婆にのど仏があること、髪が短いこと、これはなぜなのか。

最後のシーンで下人が盗人になって着物を奪って逃げていく、

話としてはそれで終わってもいいはずなのに、その後、

死んだように倒れていた老婆が起き上がって黒洞々たる夜を覗く、

わざわざこのラスト4行は何のために描かれたのか。

それらは何を意味するのか。

先生のお話は、まるでそこここにちりばめられた暗号を見つけてひも解いていく

推理小説を読んでいるような醍醐味が味わえました。

当時の芥川龍之介の私生活のお話から作品に与えた影響も読み取れ、

今までとはまた違った『羅生門』の世界を知ることが出来て面白かったです。

次々と新しい本に手をつけるのも楽しいけれど、 

知っているはずの物語を何度も深く掘り下げて考えていけるのが

昔から読み継がれてきている文学作品の素晴らしさなんでしょうね。   

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